この銅像は川崎市の東亜建設工業様の銅像の新設に伴い現存する65年前に制作されたコンクリートの像から忠実に型取りし不朽のブロンズ像へと複製し、生誕の地である富山県氷見市薮田に設置したものです。 日本初の臨海工業地帯を政府の支援を受けずに独力で建設することを計画し約15年間に及ぶ年月をかけて完成した事から京浜工業地帯の父と呼ばれる浅野総一郎は、浅野セメント(後の日本セメント、現在の太平洋セメント)浅野造船所(後の日本鋼管、現JFEエンジニアリング)など多数の会社を設立し一代で浅野財閥を築きました。
「65年前に制作のコンクリート像」 老朽化により劣化が激しく壊れないよう取外し現地より高岡の作業工場に運ぶ。
「型取り」 鋳造工場で石膏型に合わせ型どりをする。
「型合わせ」 ブロンズ像の溶かした銅を流す前の作業。
「鋳造」 型に溶かした銅を流し込む作業。
「仕上」 鋳造後のバリ取りや細かい部分を綺麗に仕上げる。
「着色作業」 最後の着色作業。熟練の職人が濃淡で深みを出し、重厚な銅像が完成。
「設置・除幕」 台座石とブロンズ像の設置を行い、除幕式で皆様にお披露目。